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村岡藩士族。
最終階級、司民分課下村権大属總。福岡村戸長。 小坂石見守(信州小坂城の城主でのち 諏訪大社の神官)の後裔。元の名を小坂猪之助。 天保七年八月二十四日に小坂千次郎正有から 下村仁兵衛家を相続再興するように仰せ付けられ 下村家を相続した。

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下村總政敏(しもむらそうまさとし)
1819年(文政2年)~1891年(明治24年)

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信州小坂家から下村家へ養子にきた。
養父郡蔵垣村士族の名を掲げ、 豊岡尋常高等小学校の教諭ののち、 八条尋常高等小学校の17代校長(明治37)~ (大正7)を務めた。
謹厳実真居士の異名を持つ。 母方は養蚕で有名な上垣家。 下村りうと結婚、三男一女を授かる。

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下村虎之助(しもむらとらのすけ)
1859年(安政6年)~1939年(昭和14年)

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虎之助の次男。長男の保が早世してしまい、 虎之助に従い家督を相続した。
達筆で芸術センスに優れ、 角篁恭成の名で書家を務める。
明治37年豊岡尋常高等小学校の教師になる。 現墓石は哲夫が建設した。(飯森霊園)

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下村哲夫(しもむらてつお)
1883年(明治16年)~1945年(昭和20年)

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哲夫の長男。
学校卒業後すぐ実家を出て、兵庫県尼崎へ移り そのまま製紙会社へ務める。
昭和20年空襲の被害に会い身の回りの物すべて 消失する。
のちに段ボール業界へ進出、 昭和40年下村内外工作所を立ち上げ現在にいたる。

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下村元久(しもむらもとひさ)
1912年(大正元年)~1988年(昭和63年)